来月、パリの出場枠をかけた「2023 ワールド車いすラグビー アジア・オセアニアチャンピオンシップ」(東京体育館)を控えている日本。選手たちは毎月行われる代表合宿のほか、普段はクラブチームで練習に汗を流している。
自国開催の東京パラリンピックでは2大会連続の銅メダルを獲得し、「追っかけファン」だけでなく、クラブチームのスタッフや大会のボランティアを希望する人も増えた。
競技に関わる人口の広がりが期待される中、国内大会でレフェリーとして奮闘する学生がいる。
国立障害者リハビリテーションセンター学院・義肢装具学科3年生の一瀬優月さん(21歳)だ。縦横無尽にコートを駆け回るその姿に目を奪われ、昨年末に話を伺った。
「やればやるだけ、やれることが増えるから、やることが無限にあって…」と話す一瀬さん。
レフェリーの講習を始めたのは1年生の3月末。そこからチーム練習で実践を重ね、今は国内での公式戦で笛を任されるまでになった。
試合中はボールから目を離せないため、常に走る持久力が求められる。さらに、膨大なルールを覚えるのは一苦労だ。試合中にファウルなどがあると、レフェリーは笛を吹いてプレーを止め、そのファウル名を瞬時にコールしなければならないのだ。
「どんなにルールブックを見て復習をしても、試合中に”あのルール名なんだっけ”ってなるし、その瞬間に思い出せなかったら時間が止まってしまうんです。選手たちもルールは熟知しているので、練習だったらそれでもなんとかなりますが、公式戦だとそうもいかないので、体も頭もフル稼働ですね」
大阪出身の一瀬さんは、高校時代は医学部を目指していた。近所に重度障害児のデイサービスがあり、触れ合う機会があったことがきっかけだ。障害のある子どもたちの役に立ちたいーーー将来の目標が見え、医者を目指す中で、義肢装具士という職業も知り、今の学校に入学するに至ったという。
義手や義足の制作を学ぶ義肢装具学科の学生となった一瀬さん。モノづくりの楽しさをこう語る。
「金属っていうことを聞かないんですよ。金属にも気分っていうのがあって、曲げたいところを曲げたら、違う部分にストレスがかかるんです。も~やめてよ!って思うんですけど(笑)」
好奇心旺盛な一瀬さんが、「学校以外の世界も知ってみたい」と出会ったのが車いすラグビー。学業やアルバイト以外の時間は、ほとんどを車いすラグビーに費やしている。学校があるのは埼玉県所沢市。また、所属する車いすラグビーチーム「AXE」の練習は東京・お台場で行われることが多く、多忙な毎日を過ごしている。
そんな一瀬さんが今後憧れているのは、車いすラグビーのメカニック(試合中や試合前後に競技用車いすの修理や調整を行う役割)となることだ。
「すごく厳しい世界だし、選手に信頼されないと始まらないので、やりたいという思いだけではできないのはわかってます。だからこそ、私の努力次第でもあります。でも、どんな職業についていたとしても、障害のある人に”こんなスポーツがあるよ”って提案できる存在になっていたい」。
「一生車いすラグビーに関わりたい」。そう締めくくった一瀬さんの目は、輝いていた。
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